【Culture】ハライチのターンについて〜岩井さんの魅力はラベリングできないとこにある〜
Hi.
DONGIVASHIです。
ハライチのターンリスナーです。
といっても大阪ではネットされていないため、もっぱら昼間などにラジコプレミアムで聴いています。(深夜ラジオなのに!)
もしもあなたがターンリスナー(ハライチョフ?)なら、たぶん岩井派なのでしょう! それくらい、彼の話を聴きたくて、彼の思考に触れたくて『ハライチのターン』を聴いている人は多いと思います。
私はとくにどちら派でもないのですが、岩井氏がめちゃくちゃ人気なのは側から見ても深く同意することができます。
それではここからいくつか、その理由を挙げていきたいと思います。
☆所属が曖昧
まず最初にどういった美点を挙げるべきか、迷いましたがやっぱり彼の魅力はここに集約されているのではないかと思って、いってみました。
所属というのは、事務所や派閥へのそれではありません。なにかといえば、世間一般において人を選別する場合の”所属”です。
みんな、みんなを一言で言い表したがりますよね。
「あなたはサバサバしているね」
「君は陽キャだよね」
そういった行為を英語ではlabelingといいます。ラベリング、つまり、人を瓶に詰めてラベルを貼ってあげる行為のことです。
それをめちゃくちゃしにくいのが岩井氏だと私は思うのです。そうしてそこが彼の魅力となっているのだと。
たとえば氏は、「二次元に住みたい」と言ってしまうほどの根っからのアニメ好きです。そのときどき、放送されているアニメをぜんぶ録画して逐一チェックすることに忙殺されているようです。だから単に、「あ、この人はアニオタなんだな」と私は思ったわけです。
加えていつも暗い色の服を着ているし、一時期流行った「腐ってるキャラ」だってどちらかといえばネガティブなイメージやし。
陰キャなんやろうなあ、というのがひとつ、印象としてあったわけです。
しかし蓋を開けてみれば、「ひとりでなら外食したくない」という主張であったり、先輩後輩や友達と盛んにご飯を食べに行く話、なんと学生時代には運動神経がとてもよかったりクラスの人気者だったり、ん? いわゆる陰キャではない、むしろ陽キャ寄りなのか……? という疑問が生まれてきます。
そして気づくのです、べつにこの人、陰キャでも陽キャでもないんやなあ、と。どちらでもあり、どちらでもない。というよりも、分類なんて必要ない……?
また、氏は芸術にも秀でており、絵を描くのが上手でそういった類いのお仕事もするようです。ペンタブも所有しており、絵を描いていたら時間を忘れてしまうほど。
そういう話を聞いていたら、インドアな人なんかなあと思うわけです。肌も白いし、細いし。
でも同時に彼はバイカーで、フリートークでも、バイクに乗ってどこどこへ行った〜などの話が出てきたりします。たまにフットサルをする、なんてことも言っています。
ってことはべつに、アウトドア! な人ではないにしても、インドア派では必ずしもないんやなあ、という結論に至ります。
このように、ラベリングさせてくれないのです。
媚びるのとか先輩とか大嫌いなんやろうなと思えば可愛がられるのが上手かったり。世間とは違うものが好きなんやろうなと思えば「あるある」がめっちゃ好きやったり。流行り物が好きなんかなと思えば公開から2、3年経ったときに映画『ララランド』の話を突然し始めたり。ローカルとか「地元好き!」とか苦手なんかなと予想してみれば嬉々として地元のスーパーの話をしたり、そもそもさいたまテレビで番組を持っていたり。
”キャラが濃い”という言葉がありますよね。
つまり、表層に現れている色が濃く、どういう人か分かり易いが故に集団において扱いやすいという意味だと思っています。
それと真逆をいくのが彼です。
彼が「何」なのかを一言で表せる人は誰もいない。だんだん欧米の個人主義を取り入れてきている日本社会で、ニューシンボルとして絶大な人気を集めるのにも納得できます。
☆間口が広い
家の話じゃないです。
人間として、間口が広い、誰もがはまりやすい、ということです。
これはひとつ前の項目からの続きでもありますね。
彼はソフトなのです。フレキシブルで、なんというか実体があんまりない。
氏自体がおもしろコンテンツであることには疑いはないのに、だからといってどこかへ特化して尖りまくっているわけでもない。
”この層にしか刺さらない”が、ないわけです。
もう、現代のポップカルチャーそのものなんではないかと思います。アニメオタク以外もアニメを観る時代、映画好き以外もひとりで映画を観る時代、発信者とオーディエンスの距離が近く境が曖昧な時代の。
そう、コンテンツとして”親しみやすい”んです!
フリートークの舞台となる場所も、電車だったり大型ショッピングモールだったりするし、1500円くらいの出前を「贅沢」と言っていたこともあるし、
加えて先ほども述べたように「あるある好き」。
「あーーー、あるある!」と言って笑っているときがいちばん輝いて見えます。ほんまには見えてないけど。声が。
つまり感覚が庶民に近いんですよ。
アニメ好き、ということは、エンターテイメントにおいて、供給する側でもありながら需要者でもあるということですから、オーディエンスの感覚も持ち合わせていらっしゃるのですよ。
とはいえ発信者、お笑い芸人・エッセイスト、圧倒的に舞台上側の方なので、ほんとうに親しみやすかったり庶民だったりするわけは絶対にないんですけど……。
だから、「感覚をこちら寄りに」持ってくることがとっても上手やから、間口が広くて誰にでも刺さるのではないか、と思うわけです。
☆飾らない
近年、自然体であることがとても支持されています。世界においても”ボディポジティブ(どんな体型でも美しいとする風潮)”が流行っていたり、アイドルが恋愛の話をしたり。
不自然に飾り付けをされたものに、大衆はだんだん不信感を抱くようになってきているわけですね。これも、発信する側と受信する側の距離が近くなっていることに端を発するとは思うわけですが。
そんななかで、岩井氏は常に自然体だったわけです。相方の澤部氏が売れてコンビ間格差らしきものができても、自分というものを無理にテレビ(マスメディア)に合わせずに。
自然体の例として、直近で言えば氏のエッセイ第2弾が発売される(た)際の、そのプロモーションが顕著かもしれません。
エッセイの出版社である新潮社が、運営している公式ツイッターの企画で、ちょっとだけズレたことをしてしまったのです。(それは、小説や新書、エッセイなどなんでも、本についている”帯”の、デザインやアイデアを募集するという企画でした。そしてその企画を打ち出したアカウント、宣伝アカウントの中の人自身が公式アカウントを使って、企画に応募したのです。)
それに対して岩井氏は、「企画を打ち出した公式アカウントがやることじゃない」「新潮社って古い会社だから、そのへんがわかっていない」と言ってしまうのです。
自分の、エッセイを、出版する、会社に対して、ですよ!!!ふつう言わないでしょう!!!どれだけ「ん?」と思っても、口にしないでしょう!!これからも一緒に仕事するやろうし、気まずいし!!!
そしてこれは次の美点にも繋がります。
☆ファン思い
上記の憤慨(べつにめっちゃ怒ってるわけでもないかもしれんけど)も、ひとえに氏がファン思いだからだと思うのです。
エッセイの帯企画は、岩井のファンである一般の人が楽しめるように作られた企画でした。なぜなら、応募するのも購入するのも、つまり楽しむのもお金を積むのも岩井ファンである一般人だから。”エッセイを発売する”ということにおいて、あくまで主役は購入者であるわけなんですよね。それを思って(たぶん)怒っていたのだと思うのです。なんてファン思いなのでしょう。エンターテイメントというものを心から尊重していないとできないことですよね、自分の仕事のしやすさよりも、作品を、そのファンを、とるなんて。
それにツイッターの更新頻度もすごいのです。自分に関するなにかのPRは大抵リツイートするか自身でツイートするし、写真もたくさん載せるし、それってべつに直接はお金にならないことじゃないですか。やらなくたって誰も怒らないし困らない、それでも更新する。それってもはや奉仕じゃないですか。
また、単独ライブ『!』でもファン思いな一面は垣間見えます。同ライブは有観客で開催されますが、オンラインでも配信されます。配信に至って、開始直前に一気にサイトへのアクセスが集中してしまうと、当然回線が落ちてしまったりするわけですね。だから「早めにページを開いておいてください」とアナウンスするのです。「直前に開くのじゃなく、10〜15分前からスタンバイしておいてね」と。
しかし彼ら制作側は考えるわけです。そんなこと言ったってどうせみんな直前にしかスタンバイしないと。どうせ回線落ちしてしまうと。そこで、「ライブ開始前の前座としてラジオ形式のトークを配信する」ということに決めるのです。そうしたらみんなちゃんとお行儀良く、早めにページ開いておいてくれるでしょ、と。
そのアイデアを出したのはご本人ではなく、裏方さんかもしれません。しかし実際に収録されるのは演者の声・トークですから、これもファン思いの行動と言えるでしょう。確実にエクストラであり、必須ではない労力ですから。
ここでもやはり思うのが、岩井氏自身がなにかのファンで、支持者で、だからこそ自らのファンを蔑ろにしないんだろうな、ということです。
芸人さんってやっぱり、自らの熱狂的ファン(たいていは女性)を表立って大事にはしないわけじゃないですか。どこかで「男におもろがられるのがいちばん」って掲げている人が多いし。
でも、岩井氏はちゃんと、どんなファンでも大事にするのです。「俺なんか」とか「需要ないし」とか、卑屈な態度をいっさい取らないのです。
私は他コンテンツのオタクなのですが、いちオタクとして、こんなに嬉しいことはないわけです。逆にいうと、卑屈になって発信を怠られるのがいちばん悲しいです。自己肯定感高くあって欲しいじゃないですか。推しには。そんでもって需要を理解しといて欲しいじゃないですか。それを岩井氏は完璧にクリアしているんですよね。
・・・と、まあ、
まだまだ語り尽くせない岩井氏の魅力のみに言及してきましたが、澤部氏もめちゃくちゃすごい人なんです。
というか私は思うんですけど、お笑いコンビあるいはユニットって、ネタを書く方よりも書かない側の方がクレイジーじゃないですか? だって自分で物語を生み出すわけではないのに、その物語を、書き手を、全面的に信頼して他のすべてを捨ててるんですよ! まじでいかれてる! もちろんいい意味で。
そのクレイジー全開なのが”傀儡”(岩井氏がそう表現してた)たる澤部氏なのですよ。陰キャで非社交的で保守的で、ただただ反射神経のめちゃくちゃいい、ただただ岩井氏を信頼している澤部氏なしにはハライチは成り立たないわけですよ。
だから岩井氏は「澤部ならわかってくれる」と思う(言う)わけです。お互いに全幅の信頼を寄せているわけです!!!
”岩井フリートーク”の面白さは、澤部氏の反射神経と信頼、幼馴染たる岩井氏に関する知識量がなければ半減すると思うのです!!!!
いやぁ〜、
ここまで褒め称えてきましたが、私は岩井帝国民(岩井さんファンのこと)ではありません。なぜなら彼には性差別的なところがあるからです。
いちばんびっくりしたのが、椅子を買いに行った話をした回です。彼は高級椅子店(高級椅子店?)に並ぶ椅子を、風俗店で働く女性に例えてフリートークを展開しました。
おもしろのために、エンターテイメントのために、物を女性に例えたのです。私は当時強烈な違和感を感じて、ツイッターでパブサをしたのですが、異を唱えている人はひとりも見つかりませんでした。
そもそも、お笑いというのが男性優位の文化ですので、彼だけが悪いというのではないと思います。私は大阪の人間ですのでとくに、上方お笑い文化と男尊女卑というのは時に切っては切れない関係にあるとも感じます。三行前に述べたように、それに関して疑問を抱く人間も、男女関係なく少ないのだと思います。
しかし、これは変えていかなければならない風潮だとも強く感じます。女性差別はもう面白くないよって、みんながNOを貫かなければならないのではないかと。
お笑いとフェミニズムについてはいつか絶対に書きます。
話が少しそれました。
こんなことを書いて、閲覧数ゼロの今は怖いものなしですが、もし検索でひっかかって帝国民に見つかったらどうしよう。叩かれるよ。
私は『ハライチのターン』を大好きです。大好きじゃないとこんな熱量でブログを書けません。だからこそ女性差別的な発言があったことが悲しいというだけなのです。「そんな話はやめろ!」と、消費者の分際で発信者に意見をすることも、とてもじゃないけど致しません。消費者に許されているのは批評のみで、それはなにかの力を持つべきではないから。ただ、悲しいと書いているだけです。
とにかく数年前まではサブカルだった深夜ラジオ、今ではおもしろコンテンツの代表のうちのひとつとも言える『ハライチのターン』、ひいては岩井氏がこれだけ人気である理由というか、あふれる魅力、をちょっとでもお伝えできたでしょうか。
私はなにかを説明するのがめちゃくちゃ下手くそなので、本質の3分の1も伝えられていないかもしれない……。
さいきんの私の大好き-無条件-ツボ入り笑っちゃう-くだりは、「こち亀の話が出たらいついかなる時も『葛飾ラプソディ』をフルで歌うイベントが発動してしまう」やつです。
とにかくみなさん、ラジコで『ハライチのターン』聴きましょう!!!
そしたらわかる!
では!ほな!!